2023/07/07
子供のころは夏と言えばお祭りが楽しみでした。
家の近くに小さな諏訪神社があって、夏休みの終わりころにお祭りがありました。
小さな神社なのにたくさんのテキヤが集まりました。
金魚すくい、くじ引き、綿菓子、りんご飴、イカ焼き、ヨーヨー釣り、しんこ細工、など並ぶ中にひよこ売りがいました。
ニワトリのひよこです。
段ボール箱にいっぱいに詰められて、ぴよぴよと元気に鳴いていました。
手にとると、ほんわかと温かく、ふわふわでした。
子供ですから、もう買いたくて買いたくて仕方がなくなります。
急いで走って家に帰り、家事をしている母親に「ひよこが買いたい!」と何度も訴えます。
台所へ行ったり、お風呂場へ行ったりする母の後にくっついて、何度も何度も「ひよこが欲しい!」と訴え続けます。
暑苦しくくっついてくる私に、母は根負けしてお金をくれるのです。
私はまた神社へ走り、2羽買い、大切に抱えて走って家にもどります。
母は「どうせすぐに死んでしまうでしょ」という顔をしています。
ところが、母の予想を大きく裏切って、ひよこはニワトリまで成長するのです。
成鳥すると、ひよこはみんな雄鶏(おんどり)になりました。
テキヤが売るひよこに、雌鶏(めんどり)はいません。
100%雄鶏です。
雌鶏は卵を産むので、そういう業者に高値で売られるのです。
それから「夏祭りのひよこ」がマイブームになり、縁日でひよこを見つけると母にねだって買うようになりました。
「どうせ小さなひよこなんて、すぐに…」という母の思惑とは正反対に、
なぜかひよこはみな元気に成長し、みんな雄鶏になりました。
気づくと6羽の大きな雄鶏が庭を闊歩することになりました。
朝は大きな声で「コケコッコー!!」とやります。
私の観察によると、この絶叫には順位があって、リーダーから順に絶叫します。
そして最下位のニワトリは鳴きません。
のんきにこんな観察ができたのも、家の周囲は畑ばかりでご近所迷惑にならなかったお陰です。
今では家の周囲は建売住宅ばかりになってしまったので、できない相談です。
ニワトリはなんとも妙な歩き方で庭を歩き回ります。
まるでストップモーションのようです。
しかし適度な運動をして、エサも色々食べているので、羽の色つやもよく、丸まるとしてとても幸せそうでした。
ひよこから可愛がっているので、「おいで!」と言うと、バサバサと羽を鳴らして私の膝の上に乗ってきます。
雄鶏は結構大きくて、子供の膝では小さかったのですが、トサカをなでてあげるとうっとりと目を閉じて気持ちよさそうでした。
6羽の雄鶏は昼間は庭でエサを食べ、自由に歩き回り、夜は物干し竿にとまって寝ていました。
まったくストレス・フリーのトリ人生です。
父が大きな鳥小屋を作ってくれたのですが、1羽も中に入りませんでした。
ある日、気が付くと、6羽が5羽になっていました。
母に「1羽いない」と言いましたが、母は「あら、そう」と言うだけでした。
変だなあ、と思いつつ、子供のことなので、すぐに忘れてしまいます。
3~4か月後でしょうか、またある日、5羽が4羽になっていました。
「またいなくなってる」と母に言うと、母は「へんねえ」と言います。
しかし卵も産まず、ただのゴクツブシなので、私以外は誰も真剣に考えません。
また3~4か月経った頃、また1羽いなくなって、3羽になりました。
私は「トリがいない!、いない!」と騒ぎ始めました。
ようやく家族会議です。
両親は「近所の誰かが食べたんだろう」と言って、「3羽は食べられた」という結論になりました。
現在、令和のおじさんはトリをつぶすことはできないかもしれませんが、昭和のおじさんはきっとつぶせたはずです。
戦時中も飼っているトリをつぶすところを見ていたはずだからです。
我が家の雄鶏は、色つや良く、ストレス無く元気で、均整よく丸まるして、きっと美味しかったはずです。
我が家では、たとえゴクツブシでも「食べる」という発想はありませんでしたが、他人からは食欲そそるものだったのでしょう。
3~4か月経ったころ、また、もう1羽、という感じで、結局最後は1羽だけになってしまいました。
それは私が諏訪神社で最初に買った2羽のうちの1羽でした。
「おいで!」と言うと、すごい勢いで膝に乗ってきました。
その彼も8年ほどすると亡くなりました。
病気と言うより寿命に見えました。
最後までトサカを撫でると喜んでいました。